新幹線ってほんとに乗客の死亡者はゼロなの?

鉄道

はじめまして
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ほんとに新幹線の死亡者はゼロなの?

新幹線が開業してから既に60年
乗客の安全を守ってきています
しかし、様々な要因での死傷者が出ているのは確かです

それらの事故を追っていきましょう。

東海道新幹線モデル線区飛込事故

1964年(昭和39年)2月26日 10時55分に起きたこの事故
実は開業前です。

WikiPediaより

開業前の神奈川県高座郡綾瀬町(現・綾瀬市)の東海道新幹線モデル線区で試験走行中の東海道新幹線用車両に男が飛び込んだ。このため先頭車両先端のスカートが大きくへこみ、2両目の電動発電機、3両目のブレーキ用空気パイプなどが損傷する被害を受けた。試運転車両は200km/hほどで走行中だったため事故現場通過後に停車するまで2 km近くも走行した。その影響で死体は広範囲に散乱した。

この当時の新幹線のモデル線区の映像を見る限り、
新幹線の線路に容易に侵入可能だったことが伺えます

今は法律でも構造物でも新幹線の線路に侵入することを可能な限り阻止していたと考えられますが
柵すらまともになかったことも言えます

どういう意図かは以下の2つと考えられるでしょう

  • 明らかな自殺
  • 新幹線の線路を見たく、線路に侵入したものの、200km/h近くで走行していたので、瞬時に来る新幹線試験車両に気づかず、飛ばされた

この事故は乗客でもなく、かつ職員でもない事故となります。

国鉄の責任度:★★☆☆☆

東海道新幹線保線作業員死傷事故

新幹線が開業し、1か月+約3週間後の1964年(昭和39年)11月23日7時32分ごろに起きた事故です。

死者5名、負傷者5名

WikiPediaより

静岡県磐田市の東海道新幹線の線路内で砂利固めをしていた保線作業員10名が、列車見張員の不注意から、静岡発新大阪行きの「こだま207号」にはねられ、5名が即死、5名が重軽傷を負った。現場は田園地帯に土盛りをした直線の見晴らしの良い場所であったが作業員達は砂利を固める機械の音のため近づいてくる新幹線に気付かなかったという。こだま207号は事故現場から1km以上も走って停車したため犠牲者の遺体は事故現場から延々と1km以上にわたり線路に散乱していた。
新幹線開業から2か月足らずで複数の死傷者を出した国鉄は、この事故により安全対策の見直しを迫られることとなった。

明らかに職員が死傷した事故です。
今では昼間に行うことすら考えられないのですが

そもそも東京オリンピック(1964)に間に合わせるかのように
新幹線を建築していったので
今まで体験したことのないマニュアルができてなかったのが原因とも考えられます。

国鉄の責任度:★★★★☆

ついでに

WikiPediaより

この事故と直接関係はないが、新幹線保線作業員がはねられる事故は1966年4月25日深夜にも再発しており、こちらは弁天山トンネル(小田原市)付近で保線作業のため線路に入っていた作業員が作業機械などを運搬中、やってきた電気試験車(時速210kmで走行)をモーターカーと誤認して逃げ遅れ、4人死亡・重軽傷者多数が発生した。

死者:4名

昔は、今でいうドクターイエローが深夜に走行していたのですね。
マニュアルでは対処しきれなかったということで
完全に作業手順を変えざる得ませんでした。

見たら幸せになるドクターイエローが昼間に見れるのは
この事故が原因かもしれません。

現在は電源を完全に遮断し、高速車両はすべて通らなくなってます。

国鉄の責任度:★★★★☆

東北新幹線小学生死亡事故

ところかわって、東北新幹線で小学生女児が死亡した事件もありました

1983年(昭和58年)8月4日に起きた事件です

東北新幹線古川駅 – 一ノ関駅間の第一高清水トンネル内で、大宮発盛岡行きの「やまびこ35号」が同トンネルに差しかかった際に、運転士が異音を感知したため線路の異常を考えて列車無線で運輸指令に報告した。保線区員が現場付近を調べたところ、トンネル坑口から約60 m地点で小学生女児の遺体を発見した。この女児は夏休み中で母親と兄の家族3人で母方の実家に帰省する途中であったが、古川駅で下車の際、母親が先に兄妹を降車させたものの、帰省ラッシュで混雑した車内で自身の降車準備に手間取り、兄が不安を感じて車内に戻ったところでドアが閉まって列車が発車してしまった。ホームに1人取り残された女児は気が動転して家族を追いかけるように軌道内へ立ち入り、徒歩で北上していたところ後続列車である「やまびこ35号」にはねられたものである。女児がはねられた第一高清水トンネルは、古川駅から約11 km離れていた。

当時、古川駅では助役1人で監視カメラ2台を使ってホームの安全確認をしていたものの、帰省ラッシュで混雑していた上、上り列車で発生した急病人対応で駅員が出払っていた。また女児が降りた部分はホーム先頭で監視カメラの死角になっており、安全柵をすり抜ける女児を見逃していた。

東北新幹線開業後、初の旅客死亡事故となった。

みなさん、新幹線の安全神話はこの時からも続いてたと思っていらっしゃるかと思います。
実はあたしもそうでした。

ですが、この時点で新幹線の安全神話は崩壊したのです。

まず、ホームドアは設置されていたのです。

ただ、何等かの理由で落下しただけでは(もしくは自分で降りた?)
すぐに通過する新幹線に衝突することはありません。

しかし、彼女は、家族を追いかけるかのように
柵のスキマから線路に降りて「どこいったのぉ?」って歩いていきました

さすがに当時でさえ、どう考えても30分に1本以上は
新幹線が通っていました。

確かにホームドアは自動で動きますが、乗務員乗降口の所はそうなっていません。
簡単に開けられたことでしょう。
そうやって、ホームドアのスキマから線路に降りて
どこまでも、どこまでも、「どこいったのぉ?」といいながら
歩いていきました

しかし、これだけではありません。

国鉄にも非があったのです。

監視カメラはそこまで撮影できてなくて、異常に気づけなかったのです。

なんというか、これは完璧に国鉄のミスです。

国鉄の責任度:★★★★★

新幹線の安全神話はどこまで続いてるの?

新幹線はこれらの事故だけでなく、テロ事件も起きてしまったわけです

どうしても、安全神話を言うには、無理やりながら、抗言わざるえなくなります。

運行会社による責任範囲で、乗車中の乗客の死者がゼロ

それでも、日本の鉄道は安全最優先

どこぞの隣国とか、そのような鉄道はどうなのでしょうか。

日本の国旗をパクったようなあの国の高速鉄道は
壊れたからといってガムテープで補強して、やっぱだめだったので廃車になる始末

あの赤ばかりの広大な国の高速鉄道は
事故ったからといって地中に埋めて証拠隠蔽しようとする

しかし、先日JR東海の新幹線衝突脱線事故(厳密には保守車両=マルチプルタイタンパー)については
このように写真まで堂々と公式に公開しています。

また、現在、JR東海の東海道新幹線と、JR西日本の山陽新幹線、JR九州の九州新幹線、西九州新幹線、並びに
JR東日本&JR西日本の北陸新幹線、JR北海道の北海道新幹線は
営業中に営業用車両の脱線事故をまだ起こしていません

とはいえ、JR東日本の東北新幹線、上越新幹線では営業中の車両が、
JR九州の九州新幹線は回送中の車両が脱線事故を起こしています。
細かなことを言えば、車両基地内でも結構脱線してます

これが、いつまで続くかは本当にわかりません。

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